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鈴木の現在の仕事に影響を与えたのが、大学時代のアルバイト経験だ。場所は繁華街に立地する高級寿司店。彼女はホールの給仕役として店に立つ傍らで、時折、経営者やベテランのビジネスマンたちの会話に交ざることもあった。そんな経験を通して得たのが、大人たちのビジネスの世界への憧憬と、誰とでも物怖じすることなくコミュニケーションが図れるという確かな手応えだった。有機化学を専攻していたにもかかわらず、迷うことなく営業職を選んだのも、そんな経験が大きく影響しているのかもしれない。
営業職としてどんな業界に進むべきか、鈴木は就職活動では化粧品業界や食品業界などさまざまな業界を検討した。しかし最終的に選んだのは、大学時代に身に付けた知識を生かすことができる化学メーカー、デンカだった。自分の強みを生かせることとともに、創業100年という長い歴史の中でさまざまな製品を開発してきたデンカの技術力がその理由であった。
ところが入社後に配属されたのは、独自技術を存分に活かし高い市場競争力を持つ製品を扱う部署ではなく、どちらかといえば、製品の特徴を出しづらい汎用のABS樹脂を主力製品とする部署だった。市場規模が大きいため、同業他社との熾烈な競争にさらされているマーケットであり、まさに営業担当としての力量が問われるシビアな側面がある。市場を奪うも失うも営業次第、鈴木の営業職としてのキャリアはこのようにしてスタートした。
ABS樹脂は自動車、家電、インテリアなど多種多様な製品に使用されるため、あらゆるカテゴリーのメーカーが売り込み先となる。さらに、それらメーカーから樹脂成形を委託されるモルダーも顧客候補だ。それらユーザーとデンカの間に入る商社とタッグを組んで、鈴木は拡販に挑んだ。
拡販には二つのやり方がある。一つは既存ユーザーにより多くの製品を販売すること。もう一つが新たなユーザーを開拓することだ。
しかし既存ユーザーへの拡販も、新規顧客の開拓も、他社品で生産されている製品に割り込むことは非常に難しい。
とはいえ、チャンスはある。それは新製品の開発のタイミングや、ユーザーへのプレゼンなどにより、上手くニーズを吸い上げられることだ。ここでの信頼をベースにデンカのグレードの取扱量を増やすことも、新規ユーザー獲得も可能となる。だが、配属早々、鈴木に壁が立ちふさがる。
樹脂加工のオペレーターはこの道何十年の職人気質の方が多く、商談相手もモルダーの場合は商談が社長になることが多い。
鈴木の親世代かそれ以上の年齢の相手に対して、信頼を得るのは容易なことではなかった。
しかし、大学時代のアルバイト経験で培った、物怖じしないコミュニケーション力を武器に、鈴木は怯むことなくユーザーに対して、積極的にアプローチを開始。持ち前の明るさと、大学時代に培った化学の知識を駆使することで、徐々に顧客との距離を縮めていった。
営業担当にとって、顧客との対話の糸口を掴むのはとても重要であるが、それだけでは務まらない。素材の営業はソリューション営業である。樹脂成形に関する顧客の課題をヒアリングして、それに対する適切な提案を行い、素材や設備で解決を図ることなしに、取引は成立しない。
付き合いのある商社から、化粧品メーカーで高級感を演出できるような容器の素材のニーズがあるという話を聞き、さっそく面会のアポイントを取り付けて売り込みを開始。
透明度が高く、深い色調を実現することができる透明樹脂を提案したところ、試供品用の容器の一部として採用していただくことに。試供品であるため取引の量は少なかったものの、それが次の展開の布石となった。
試供品用として提供したデンカの素材が、他のデザイナーの目にとまり、すでに量産している光沢のある漆黒調の容器の、代替材料としての引き合いを得たのである。鈴木はすぐさま高光沢のグレードのサンプル提供を開始し、ほどなくして見事採用されることとなったのである。
「当初の受注規模は少量でしたが、結果的には大きなビジネスに結びつけることができました。ABS樹脂がさまざまなカタチに姿を変え、付加価値をつくり出せるかどうか、営業のやり方が重要であり、責任の重さを感じています」
そう言う鈴木は、この仕事を心底楽しんでいるようだった。
私は就職活動ではさまざまな分野の製造業を回りました。でも、説明会に出席し、エントリーしていく中で、どのようなビジョンを持って、何をしていくのか、どの企業も見えづらく感じていました。そんな中、高い技術力をベースに素材メーカーとして多彩な分野のユーザーに貢献していくというデンカの理念が、自然に理解できたのです。
就職活動では多くの業種、職種を見ることができる良い機会。早くに視野を狭めず、多くの会社を見てから志望業界を絞る方が良いと思います。また、学生のうちに興味をたくさん持って、いろんなことにチャレンジすると、後で活きてくることが必ずあると思います。